2017/06/02
パプドッグを予防接種に連れて行って、めちゃくちゃ怖がるのであやすだけで体力を使い果たした。
それでもここのところ寝起きにほっぺたが痒かったり息が苦しかったりするので、へとへとの身体に鞭打って布団の掃除機がけとシーツの交換をした。
あのメロスだって精も根も尽き果てて「やんぬるかな」と草原に四肢を投げ出すのだからメロスより私のほうが偉い。
今日の私はすごく頑張った。受賞確実なのでノーベル頑張ったで賞を早く設けてほしい。その金でガチャぶん回したい。
2017/05/25
また宗教の話です。またかよと思うかもしれないけど、私はあかほりさとるとか中村うさぎとかを愛読していたので宗教の話はテンションが上がるんだ。許してほしい。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』についてのお話です。内容を知らない人はいないだろうから割愛します。
こないだ朗読CDで久しぶりに内容をちゃんと振り返ったら、これ別に教訓とかそういう話じゃなくない?と思った、というか、ちょっと釈然としなかったので書きました。CD自体はとてもよかったです。ボーイズがラブするゲームの派生CDなんですがその話は今はいいです。
お釈迦様、人をオモチャにしてると思う。
蜘蛛を踏み殺そうとしてやっぱりやめた、くらいのことはたぶんどんな極悪人でも人生で1回くらいはしてる。そのくらいの気まぐれもない強い意思の持ち主なら悪人になんかならずにまっとうに生きるよ。あくせく働いて稼ぐよりあくせく働いて稼いだ奴を殺してその金を盗んだほうが手っ取り早いから悪人になるんじゃん?真面目に生きるのがめんどくさいから悪人やってたわけですよ。そんなめんどくさがりな人間が、道端で蜘蛛を見つけたら律儀に全部殺すって逆にないと思う。「やっぱりいいや、生かしておこう」くらいのこと、1回くらいは絶対ある。
要するに、カンダタは特別な人間じゃない。
しかもこのお釈迦様、このときは蓮池のふちをぶらぶら散歩していただけなのだ。蓮の花を眺めながらぶらぶら歩いて、ふと池を覗き込んだというただそれだけだ。完全に気まぐれだ。
それで、たまたま目に入ったのがカンダタだ。そして「カンダタは蜘蛛を助けたことがあるから」と蜘蛛の糸を垂らす。
見るからにつらそうに罪人たちがぷかぷかしてる血の池地獄を見て、蜘蛛の糸なんて頼りないものを垂らして「ほらこれを登れたら助けてやるよ」って、悪趣味にも程がある。気の弱いクラスメイトをいじめるクラスの不良のノリじゃん。
ていうか、カンダタが下の人間を振り落とそうとしなくたってそんな頼りない糸に何人もぶら下がったら切れて当たり前だ。蜘蛛の糸が切れるくだり、お釈迦様は特に何もしていない。お釈迦様が呆れて切ったわけじゃなく、自然に切れている。
こうなるとカンダタは、たまたまお釈迦様の気まぐれでターゲットになったオモチャだ。お釈迦様はカンダタを人間扱いすらしていないように私には見える。
長い文章を書いたら疲れた。もうやっていられるか!俺はソーシャルゲームに戻らせてもらう!
2017/05/23
まだちょっと咳で背中が痛い。
でもこれ以上身体が鈍っていくのに耐えられず筋トレとストレッチを再開した。身体を鍛えるのはとても楽しい。
セブンイレブンに行ったら新商品情報を見てから何度も探して、入荷した痕跡すら見つけられなかったもちとろバニラをついに見つけた。
最高の体験だった。
食べ終わった瞬間、あまりの幸せに思わず「ふふっ」と声が出てしまうくらいおいしかった。
2017/05/19
スマホが壊れたので新しいのを調達しに行った。まだ風邪で寝込んでいたのに、咳も、出るし、熱も、あるのに、上り坂を、冬の、あいだに、空気の、抜けた、自転車で、ほんとうに、ハア、ハア
朦朧としてまた他人に気を遣わせてしまった。お恥ずかしい。
データ移行作業は便利ツールのおかげで面倒ではなかったけど、ねこあつめがまた最初からやり直しになったのが悲しい。
母親がありえんくらいドハマリしてあんまり楽しそうだから最近また頑張り始めて、しのぶさんが来るようになったところだったんだぞ。
寝る前に暖かいものを飲もうとして梅昆布茶を飲んだら口の中をやけどした。もう踏んだり蹴ったりだ。
今日よかったことは、空の右端から左端までぐいーっと伸びた綺麗な飛行機雲を見たことくらいだ。すごく立派だった。
それでも「部屋がほこりっぽいと風邪も治らないのではないだろうか」と掃除をしたり(咳がひどいことになった)、私はとても頑張りました。
寝る。
2017/04/07
良いと思ったときは素直に語彙を捨てて「良い」と言えば良い。
神だと思ったときは素直に語彙を捨てて「神」と言えば良い。
とにかく良いものに触れたということを伝えたければ「すげーやべーマジで神」とかで別に良いと思う。
自分の感情を発信するって大切なことだし、それが具体的にどんなものかを言語化できるともっと良いけど、とにかく発信することが第一だと思う。
感想ってそういうものじゃないのかな。
無理に高尚なことを語らなくても、すごく良かったと楽しそうに言えばすごく良いものだっていうのは伝わると思う。
どうしても語りたいことがあったなら語れば良いと思うけど、ただ自分の感情を、すごく単純なものでいいから発信するだけで十分なはずなんだ。かっこつけて反感を買うようなセンセーショナルな物言いをして、不毛な争いが始まって、そうしたら、良いものが良いものだと伝わらなくなる。
自分の感情をさらけ出すのは恥ずかしいことだけど、どんなに気持ち悪く緩んだ顔でニヤニヤ笑っていても見えないっていうインターネットの利点をもっと活用すれば良い。
下書きにメモ程度に残ってたのを文章にしただけなので何を見てこう思ったのか自分でも全然思い出せないけど。