2017/05/25
また宗教の話です。またかよと思うかもしれないけど、私はあかほりさとるとか中村うさぎとかを愛読していたので宗教の話はテンションが上がるんだ。許してほしい。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』についてのお話です。内容を知らない人はいないだろうから割愛します。
こないだ朗読CDで久しぶりに内容をちゃんと振り返ったら、これ別に教訓とかそういう話じゃなくない?と思った、というか、ちょっと釈然としなかったので書きました。CD自体はとてもよかったです。ボーイズがラブするゲームの派生CDなんですがその話は今はいいです。
お釈迦様、人をオモチャにしてると思う。
蜘蛛を踏み殺そうとしてやっぱりやめた、くらいのことはたぶんどんな極悪人でも人生で1回くらいはしてる。そのくらいの気まぐれもない強い意思の持ち主なら悪人になんかならずにまっとうに生きるよ。あくせく働いて稼ぐよりあくせく働いて稼いだ奴を殺してその金を盗んだほうが手っ取り早いから悪人になるんじゃん?真面目に生きるのがめんどくさいから悪人やってたわけですよ。そんなめんどくさがりな人間が、道端で蜘蛛を見つけたら律儀に全部殺すって逆にないと思う。「やっぱりいいや、生かしておこう」くらいのこと、1回くらいは絶対ある。
要するに、カンダタは特別な人間じゃない。
しかもこのお釈迦様、このときは蓮池のふちをぶらぶら散歩していただけなのだ。蓮の花を眺めながらぶらぶら歩いて、ふと池を覗き込んだというただそれだけだ。完全に気まぐれだ。
それで、たまたま目に入ったのがカンダタだ。そして「カンダタは蜘蛛を助けたことがあるから」と蜘蛛の糸を垂らす。
見るからにつらそうに罪人たちがぷかぷかしてる血の池地獄を見て、蜘蛛の糸なんて頼りないものを垂らして「ほらこれを登れたら助けてやるよ」って、悪趣味にも程がある。気の弱いクラスメイトをいじめるクラスの不良のノリじゃん。
ていうか、カンダタが下の人間を振り落とそうとしなくたってそんな頼りない糸に何人もぶら下がったら切れて当たり前だ。蜘蛛の糸が切れるくだり、お釈迦様は特に何もしていない。お釈迦様が呆れて切ったわけじゃなく、自然に切れている。
こうなるとカンダタは、たまたまお釈迦様の気まぐれでターゲットになったオモチャだ。お釈迦様はカンダタを人間扱いすらしていないように私には見える。
長い文章を書いたら疲れた。もうやっていられるか!俺はソーシャルゲームに戻らせてもらう!