読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

絶品日記

正しいカレーみたいなブログ

カードキャプターさくらにおける”人間関係”

 『カードキャプターさくら』における、主に人間関係について、『カードキャプターさくら メモリアルブック』でのCLAMP先生へのインタビューの内容を交えてここで語ろうと思う。

 これからこの記事において何度も登場する”健全でない””マイノリティ”という言葉に気分を害する人もいると思うが、CLAMP先生のインタビューにできるだけ沿った形にするためにこの言葉を用いることとする。

 

 『さくら』に関しては、この表現が正しいかどうかわからないんですが、「マイノリティに対して優しい作品にしよう。」ということを最初から話していたんです。

 

 知世ちゃんのさくらちゃんへの想い、雪兎と桃矢の関係(”友情と取ってくれてもいいし、それ以上の感情ととってくださってもいい”とCLAMP先生はコメントしている)、小狼に惹かれていた雪兎、利佳ちゃんと寺田先生、どれも世間一般には”マイノリティ”あるいは”健全ではない”とされる人間関係だ。

 しかしそのどれに対しても(気付いていないものもあるが)さくらちゃんは偏見をもたない。

 海外からの転校生である小狼に対しても

隣町から来た男の子のように接するし、小学生が独り暮らししていることについても、「えらい。」と褒めたとしても、へんに偏見を持つことがない。

 なんでもないことのようだが、自分のクラスに外国からの転校生、それも独り暮らし(アニメでは執事の偉との2人暮らしだが)の子がいて、奇異の目を少しも向けないということはきっと簡単ではない。だが『カードキャプターさくら』の世界ではそれが当たり前なのだ。

 

  また、家族構成も、ここは言葉を選ばなければいけないところだとは思うが、”健全ではない”ものだ。

 

 さくらちゃんは物心ついた時には既にお母さんである撫子が他界している。

 さらに言うと、お父さんの藤隆は天涯孤独の身であり、財閥の令嬢だった撫子との結婚は猛反対を押し切ってのものだったので、撫子との実家ともほとんど縁を切られてしまっていると言って良い状態だ。

 つまり、さくらちゃんの親族は実質的にはお父さんとお兄ちゃんしかいない。

 このような複雑な環境にありながら、それを感じさせない素直で明るい子がさくらちゃんだ。

 余談だが、『カードキャプターさくら』には木之本家の食事シーンが多い。楽器以外はなんでも得意で料理も上手なお父さん、さくらちゃんの好物がそのまま得意料理になってしまった桃矢。当番の日にはさくらちゃんも腕は2人に劣るようだが(小学生なのだから当然といえば当然だ)食事の用意をする。そして家族揃って楽しく食事を摂る。この食事シーンの多さは、食事を家族の団欒の象徴とした上での意図的なものだと言う。

 

 家族構成が"健全ではない"のはさくらちゃんだけではない。

 小狼は父親が幼い頃に他界しており、また理由は「いろいろある」としか語られていないが、家には父親の写真が一枚もないので小狼は父親の顔すら知らない。

 知世ちゃんも、最後まで父親について語られることがない。父親の話を聞いたことがないと言うさくらちゃんに対しては曖昧に笑うだけだし、「家族について」という作文の課題を出された際には「メイドさんはやはり家族とは少し違うので母のことを書く」と語っている。父親は候補にすら挙がらないのだ。よほどの事情があるものと思われる。

 

 CLAMP先生は最後にこう注釈している。

最後に小狼とさくらが結ばれたことに関して、二人が結ばれたことを喜んでくれるのはすごくうれしいんですけど、その理由が「唯一、健全なカップルだから。」だと、ちょっと…と思うんです。さくらは<年齢のつりあいの取れた男の子>だから小狼を選んだわけではないんです。たとえ小狼が女の子でも、年齢がずっと離れていたとしても、小狼小狼である限り、さくらは小狼を選んだと思うんです。

 

 さくらちゃんは多くの”健全ではない”人間関係に囲まれている。それでも常に偏見を持たず優しいのがさくらちゃんだ。さくらちゃんだけではなく『カードキャプターさくら』に登場するキャラクターはみな同じように振舞う。こうした”マイノリティ”への接し方が『カードキャプターさくら』における主題のひとつなのだ。

 

 CLAMP先生は作品の二次創作について一切の制限を設けないと表明している。だから『カードキャプターさくら』について、いわゆるBLやGLの二次創作に発展させることそのものは常識的な範囲であればおそらく構わないのだろう。だが「倒錯した人間関係だらけのアニメ」と笑うのは物語や登場人物の振る舞いをきちんと見ていれば絶対にできないことだと私は思う。